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国際航業と私

社長エッセイ 2008年10月8日 水

国際航業への入社、新人時代
昭和56年4月に、私は国際航業株式会社の地質・海洋事業部の土質課に入社しました。当時国際航業の技術所は日野市にあり、社員寮も完備されていて、六畳一間に二人とあまり広いとは言えませんが、二食付きで月五千円ととても安く、因みに隣の部屋には、現在の武田専務が住んでいました。2年間土質調査や地滑り調査などの仕事をさせて頂き、出張は年の三分の一とやや多かったですが、とても貴重な体験をさせて頂きました。

81年度入社式

入社式の写真(前から3列目の左端が私、その横二人目が武田専務)

昭和58年に大阪支社に転勤になり、地質・海洋部門の営業職で、奈良県と兵庫県の担当になりました。現国際航業社長であられる中原社長ともこの時初めてお会いし、営業のやり方を色々と教えて頂きました。当時営業部の関西支社には二十名程の営業スタッフがおられ、とても個性的な人ばかりでしたが、営業するのが初めてで、一番下っ端の私にはとても親切にして頂いたのを覚えています。とくに関西の営業は今から思えば大変で、なかなか仕事がとれなかった思い出があります。

国際航業日野技術所時代の私(昭和56年頃23歳)
国際航業日野技術所時代の私(昭和56年頃23歳)

国際航業日野技術所時代の私(昭和56年頃23歳)

国際航業退社、感謝の気持ち
そして翌年の昭和59年に神戸支店が新設されることになり、私もその一員として参加することになりました。神戸支店は元町の一等地に決まり、なかなか素晴らしい環境でした。新たな環境で「さあ、やるぞ」と気合いを入れ直した頃、父と母から相談があり、その内容は、父の肝臓の具合が良くないので、金沢に戻ってきて家業を継いでほしいということでした。私は一人息子の一人っ子なので、いずれはという気はありましたが、正直言ってとても残念でした。

東京での送別会

東京での送別会(橋本、私、平塚、畠山)

早速直属の上司はじめ関係者の方々に理由を説明し、一年後に退社させて頂けることになりました。神戸支店での営業生活はさらに私をスキルアップさせて頂いただけではなく、多くの人脈を形成させてくれました。国際航業の営業や技術の方々、協力業者、ライバル関係の営業の人達等に多くを学び、多くを語り合いました。昭和60年3月、国際航業を退社する時には、神戸支店や関西本社の方々をはじめ、最初に勤務していた東京の日野技術所の多くの方々がそれぞれ送別会を盛大に開いて頂いたのです。たった4年間あまりお役に立てなかった私のために・・・。そして多くの方々が「落ち着いたら営業に来い。仕事だしてやるから」、「技術で躓いたら教えてあげるからいつでもおいで」などと声をかけてくれました。とても感謝で一杯でした。

北陸地下開発入社からエオネックスへ
 昭和60年4月から、父が経営していた北陸地下開発(株)、(株)利水社の仕事を始めました。正直言って一部上場企業との差が歴然としていて、唖然となりましたが、支えてくれたスタッフとともに寝る間も惜しんで働きました。比較的あつかましい私は、時間がとれると国際航業に出向き、仕事のお願いや業務のやり方などについて教えてもらいました。誰もが親切に対応して頂き、大変勉強になりました。こんなことになるのなら在職していた時に、もっと勉強しておけばよかったと後悔したのを思い出します。新入社員や入社2~3年目の社員を国際航業に出向させて頂き、1~2年間後に返して頂くことにより、確実に彼らの技術力はアップしました。今では当社の中心的メンバーとして活躍してもらっています。
 平成13年10月、私の最大の理解者でありました父が他界しました。国際航業からも多くの方々にお参り頂きました。その後一年間喪に服し、平成15年4月に北陸地下開発と北陸分析センターを合併し、エオネックスが誕生しました。念願でありました東京営業所と大阪営業所もその年に開設し、全国展開をスタートさせたのです。以後、試練は何度となくありましたが、特に温浴事業としては全国的にも名前が売れるまでになったと自負しています。

右から私、武田専務、妻と長女

右から私、武田専務、妻と長女

亡き父と(他界する約一年前)

亡き父と(他界する約一年前)

国際航業と資本提携、新たなるスタート
 平成19年の3月頃東海大学の先輩で以前在職していた頃の上司でもあった国際航業の中原さん(当時東日本営業本部長)からお話を頂き、北陸地域でのGIS事業の拡大を目指しての正式な業務提携のお話があり、願ってもないことであったので、快諾させて頂きました。その後7月から2名(中村君、臼井君)の出向者を派遣して頂いて業務をスタートさせました。
 当時国際航業は地域戦略の見直しを考えていました。大まかに言えば、大都市圏に国際航業の営業を特化し、他の地域については地方の有力業者と資本提携を結んで、事業のさらなる拡大を目指すというものです。地方業者は国際航業ホールディングスからの資本注入により経営基盤が安定し、さらに新商品や最新の情報提供を受けることにより、受注増を図れます。特に地方の建設コンサルタント業界や地質業界は年々事業量の減少に伴う閉塞感が漂い、新人の業界離れや倒産が目立つようになってきました。このままでは地元で災害などが発生した場合には対応ができないような状況に陥ることは時間の問題です。危機感は私もこの頃から深刻に抱いていました。
 平成19年12月中原さんが国際航業の社長になられることが決まりました。そこで中原社長と改めて売上高50億円程度となる北陸ホールディングス構想の検討に入りました。エオネックス、利水社の売上げ合計は約25億、あと25億程度の売上げのある企業が参画しなければなりません。その後幸いにも私と同じく世襲にこだわらず、会社の将来と社員さんの生活を真摯に考えられていた東洋設計の加藤社長にもお話を聞いて頂ける機会があり、私たちの考え方に共鳴していただきました。以後、何度となく会議を重ね、平成20年7月3日に国際航業ホールディングス、東洋設計、エオネックス、利水社の4社による経営統合合意の調印までこぎつけたのです。その後、7月25日のそれぞれの会社で正式決定し、10月1日に持ち株会社設立の運びとなりました。10月9日には金沢市内で新しい持ち株会社に属する会社の社員全員に集まって頂き、キックオフパーティを開催する予定です。

新聞記事1

新聞記事2

これからの課題
 今思えば、昭和56年に国際航業に入社させて頂いて以来27年が経ちました。私の人生の出発点が国際航業からであり、今またこのような形で一緒に仕事をさせて頂くことにも不思議な御縁を感じます。しかし、今までは「友人」だった関係から「親戚」になるわけですから、ゆっくり構えているわけにはいきません。この北陸ホールディングス構想はスタートしたばかりです。ぜひ社員さん一人一人のためにも事業を成功させ、成果をあげたいと考えています。
 今後について今、さまざまな戦略的な構想の検討に入っていますが、これからが勝負です。この厳しい経営環境に打ち勝ち、新たな事業領域、新たな市場に参入して行くことが我々に課せられた任務です。これからも志を同じくする企業との提携は基より、異業種との提携も例外ではないのです。

 今後の課題はいくつもありますが、とりわけ必要なことは社員さんどうしや提携企業どうしの信頼関係とコミュニケーションだと思っています。一人一人が励まし合い、企業どうしが助け合って成果を出していくといった企業風土をさらに構築していきたいと考えます。

心の荒みを無くすキーワード「掃除」
 これに伴いひとつ取りかかって見たいことがあります。それは全員による始業前の一斉掃除です。今でも一部の社員さんや女性社員さんが行っていますが、少しでもいいからそれをできるだけ全員で行って見たいのです。みなさん御存知のように昨年からのテーマは「心の荒みを無くそう」です。そして心の荒みを無くすのに一番効果的なのが他ならぬ「掃除」なのです。私は最近改めて12年前から携わっているボランティアを通じて、このことを確信しました。必ず小さなことですが、心の荒みが無くなり、コミュニケーションのアップに繋がると思います。決して強制ではありませんが、主旨を御理解の上、ご協力を頂ければ幸いです。 今回の社長エッセイは、国際航業さんと私の人生観についてを中心に書かせて頂きました。これからも数々の出会いや多くの体験に遭遇していくとは思いますが、23年前に国際航業を退社させて頂き、このエオネックスグループを任された時の初心を忘れずに、皆さんとともに頑張っていきたいと思います。れからも宜しくお願いします。